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小作品集(掲載作品から)

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古山正己

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石川厚志

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TASKE

高次脳機能障害2013

SHOW…GUY…SHA,SHA,SHA…

あの頃から僕は記憶障害が出るようになった
昨日した事、人の名前
迷わず行けぬこの辛さ
自制が効かぬ感情のコントロール
それは全て高次脳、高次脳、高次脳機能障害
高次脳、高次脳、高次脳機能障害のせい

今、考えてるプロジェクトがあるのだけど、何から始めたらいいかわからない
思い通りに行動出来ないから怒りっぽくなる
あー、疲れてて今夜は風呂に入る気力もない
あー、今朝、体重を測るの忘れてたー
散歩に出掛けて、買おうとしてた品物を買い忘れてしまったり、幾ら勉強してもいざと言う時、力を発揮出来ず、やる気が出なかったりでついタイミングを逃してしまう
思いや考えを言葉にするまでが遅くなる
質問に即答出来ない
人と会話にならない
目の前にある物、全体を把握出来ない
運動しても、考えるだけでも疲れ易い
知的障害じゃない
発達障害じゃない
高次脳機能障害
知らない、気付いてない人が多いけど、もっと理解して欲しい

高次脳機能SHOW-GUY-SHA
昨日、今日、明日もSHOW-GUY-SHA
高次脳機能SHOW-GUY-SHA
だけど、前向きな姿勢は必要さ

交通事故に遭ってから25年と4ヶ月
後遺症を残す前の微かな記憶は思い出せても
後遺症を残した後の記憶は部分的に忘れてる
思えば、大人になるまで道草喰ってた
口下手、難聴、それでも生きて来れた
家庭の事情など、人一倍生活に苦労しながらも、思い付くまま表現活動始めた
難聴でも音楽は出来た
お笑いや朗読も出来た
喋りが遅い自分に嫌気が差したので、無理矢理早口で喋るようになった
司会の依頼も来るようになった
時には何度も同じ事喋ってたけど、全て高次脳機能障害のせいだった
「障害」も「個性」としてアピールしてけばいい

四六時中、脳から来る耳鳴りで気が散り、意識が朦朧として、やる気が出ない事が多いけど、出来る事からやればいい

本当はサラリーマン並みの収入を得て、豪遊したい位だけど、せめて健常者目線の世の中に負けたくない…人生は、リハビリだ。
高次脳機能障害…SHOW-GUY-SHA

作者禿慶子+細野豊×光冨郁埜インタビュー
「詩は孤独か」    

質問内容・書記・光冨由美子

 平成25年3月23日、桜木町の一角の間にて、インタヴューをした。
 女流詩人である禿慶子さんと、詩人細野豊氏に、それぞれの観点から、3つの質問にお答え頂いた。(お断りとなるが、細野さんには、事情により当日いきなり質問に答えて頂いた。)

Q1 「詩ってなんだろう?」

 禿 すごく本質的なことで難しい問題なんです。例えば、岡本太郎が「詩は宇宙だ、全ての芸術の根源だ」と、ある意味いかにも岡本太郎的な言い方だが、言っています。これは本質をついていると思います。
 今私達が、詩と言った時何を考えるのか?おそらく詩作品に近いものを考えてしまうと思います。当然で間違いではありませんが、本質的な考え方をしたならば、詩作品ばかりの考え方をしていると、結局、詩を矮小化してしまうと思います。
 私ならではの言い方になりますが、詩とは、言葉以前の言葉、だと思います。
 細野 詩とは何か、とは、永遠の課題だと思う。昔から詩は在り、これからも在り続けるだろう。昔から、今も、これからも語られるだろう。これが詩、と簡単には言えるものではなく、永遠の議論される課題だと思う。
 すべての文学の原点は詩だと思う。絵の中にも、小説の中にも、演劇の中にも「詩」は在る。それらの核にあるものが詩であり、人間の心の奥の深い所、無意識の領域に押し込められ、生きていく過程の中で、積み重なってきたものの中からが湧きあがってきて言葉になったものが、詩だと思う。
 2010年4月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された「第5回ブエノスアイレス国際詩祭」で、アントニア・ガモネーダという、スペインで最も権威のある文学賞であるセルバンテス賞を受賞した詩人(現在80歳代)と親しく話す機会があったが、彼は、「詩とは一つの生き方であり、生きる方法である」と言った。詩とは生きる一つの方法で、詩を書くとこが生きることだと、言っているのだと思う。生きるために必要だから書くのが詩だと思う。
 禿 考え方はいろいろあって否定するわけではないが、詩はマクロ的考え方と局部的考え方が今できていると思います。先に話した岡本の見方はマクロ的といえる。細野さんの言われていることは真実なのですが、私はマクロで言うと、詩と言う大きなものがあり、その中の一部が小説になったり、音楽であり文学であり演劇であったりだと思う。だから、根源的と言えると思う。
 あまり変わらないが、詩は全部を包むものと言える。現実的にはジャンル別化され、詩の話では詩作品に近い話をしてしまう傾向にある。マクロ的に考えるか、あるいは詩と言う部分的な考えかたをするのか、の二つがあるのだと思う。
 細野 なるほど、言いたいことはよくわかります。僕の言ったこととあまり変わらない。ちょっと違う?表現の違いでしょうか。それに、もう一つ。詩には何を書くかということと、いかに書くか、ということがあると思う。いかに上手に書かれていても、何を書くか、という核になるものがないといかに上手に書いても詩にはなりえない。人間がいかに生きるか、ということが基本的なところにあるのだと思う。
 禿 それは、後の質問に関係してくるんじゃない?
 細野 ああ、そうか。後から出てくるんですね。
 光冨 ありがとうございます。お二人の考えには非常に共感できます。詩は宇宙、大きなものであるとは新鮮ですね。すべての芸術のコアにあるものが詩というのは同じ考えです。ミクロかマクロかというどの立場で言うかが表現の違いとなってくるのでしょう。だけども、詩とは一ジャンルにとどまらない、現代詩とかはひとつの形式で、それだけにとどまらないのだということ、と言うのはとても重要ですね。

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